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【短編小説】大坂上児童遊園

8月初めの東京は記録的な暑さだった。

首都高速3号渋谷線と玉川通りがちょうど重なる目黒区青葉台の大きな交差点の裏には小さな公園がある。

広さはおよそ小学校の体育館にすっぽり収まってしまいそうなこぢんまりとした公園で、遊具もブランコと狭い砂場があるだけで、目ぼしいものは何もない。

ベンチも無ければボール遊びも禁止されているので、よほどブランコが好きでもなければ立ち寄る必要のない場所だった。

この公園の特徴を挙げるなら、入り口から入ってすぐの広場に大きな木がそびえたっているくらいのものだ。

そんな公園には公衆電話サイズのトイレと、最後に水を出したのはいつ頃なのか誰も記憶していないような水道がある。

僕は通勤途中と休憩と帰宅中にその公園に寄ってタバコを吸っている。

僕のような喫煙者の存在は多くの非喫煙者にとっては邪魔なようで、徹底的に排除しようと法律を変え、ルールを増やし、タバコを値上げしてどんどん端へ追いやろうとする。

それでも愛煙家にとってタバコは、人が生きるために食事をするのと同じように重要な生活のパーツになっていた。

僕の務める会社は完全禁煙で、僕の他にもタバコを吸う人はいるがみんな他人には共有せずに「タバコを吸いたい」という欲望をこっそりと満たしているようだった。

現に休憩終わりのオフィスは少しタバコ臭いので誰かが吸ってきたことは明白だった。

僕の場合は1日3回、大阪上児童遊園でタバコを吸っている。

ある日もいつもと同じように13時頃公園へ行くと、子供が1人で遊んでいた。

僕は子供に煙が行かないように少し離れたところでタバコに火をつけた。

その子供はブランコの前にキックーボードを置き、縄飛びをしていたが僕がタバコを吸い始めると遊びを一旦停止して僕のことをじっと見ていた。

まるで草食の小型動物が天敵を見つけて警戒するように。

僕は子供の方に煙がいかないように気を付けながら3口くらい吸ったタバコを携帯灰皿へ入れて潰した。

タバコを消したあともその子供は僕のことをじっと見つめていた。

その日の帰り道、すっかりその子供のことなんて忘れていた僕は公園に立ち寄ってタバコを吸おうと思った。

「思った」というよりは習慣になっていて、無意識に公園の中へ入っていた。

すると驚いたことに昼間の子供はまだ1人で遊んでいた。
すでに19時をまわり、あたりは真っ暗になって、公園に1本だけ立っている蛍光灯が辺りを薄く照らしていた。

そしてその子供はブランコを夢中で漕いで、僕の頭の高さまで踵を突き上げていた。
ブランコからは「キィー、キィー、キィー」と金属をこすり合わせる音を出していた。

僕は昼間と同じようにタバコに火を着けようとしたら、なんとその子供はブランコを降りてキックボードに乗って僕のことをまた同じ目つきでじっと見つめていた。

奇妙なのがブランコは下に降りて停止していて、まるで元々動いていなかったように見えた。

僕は少し不気味に思いながらタバコを2口だけ吸って公園を出て家に帰った。

その子供がなぜあんな時間までいたのか、ブランコは動いていなかったのか、色々な疑問が頭をよぎったが、タバコを十分に吸えなかったことで少しだけ苛立ってもいた。

僕は家に帰るとすぐに荷物を床に置き、ベランダに出てタバコを吸った。

だが気持ちはなかなか落ち着かず、公園にいた子供がどこかから見ているような気がした。

僕は5口ほど吸ったタバコを家の灰皿へ入れて火を消し、熱いシャワーを浴びた。

シャワーを浴びたあとキッチンで肉と野菜の炒め物を作り、冷凍していたご飯を温めて食べた。

ビールを飲みながらテレビで漫才番組を見てから、もう1本タバコを吸って歯を磨いてベッドへ入った。

帰り際の公園で見た子供のことが頭から離れず、なかなか寝付けなかったので仕事のことを少し考えた。

僕はWebメディアの編集をしているのだが、記事の公開直前にライターが音信不通になり代わりをどう埋めるかで頭を悩ませていた。

みな忙しく、ライターたちは期日に追われていたので、仕方なく僕が書くことにしようと思っていた。

そんなことを考えているうちに眠りがやってきた。

僕は公園にいた。でもおそらくこれは夢の中で、現実とはかけ離れた場所にいるに違いない。

タバコを吸いたいという気持ちもないし、公園の子供もいない。

僕はブランコの前に移動して鎖に繋がれた不安定なプラスチックの板に座った。

少しだけ地面を眺めてから思い切り前に蹴っ飛ばしてみた。

だがブランコは全く動かなかった。

そうだ、これは夢なのだから動かなくても当然かもしれない。

そう思って顔を上げると目の前にあの不気味な子供が立っていた。

僕がタバコを吸うときに見つめてくるのと同じ目つきでじっと顔を見ている。

近くで見るとその子供は僕に似ていた。

子供の頃の僕だ。そんな気がした。

そういえば僕は子供の頃、友達がいなかったのでよく公園で1人で遊んでいた。

人気な公園は遊具も多く、広かったし、ボール遊びもできたので多くの子供たちが集まっていた。

でも僕はそんな賑やかな公園では馴染めず、近くにあった狭く遊具の少ないボール遊びが禁止の公園で遊んでいた。

遊具はブランコしかなかったので家から遊び道具を持っていっていた。

肩に縄跳びなどをかけて、キックボードで公演へ行っていた。
たまにブランコにも乗った。

僕の家は両親が共働きで夜遅くに帰ってきていたので、暗くなるまで公園で遊んでいた。

僕には兄弟もいなかったので、話相手もいなかったし、両親は仕事のストレスで僕が話しかけても適当な相槌を打つだけでまるで聞いてくれなかった。

僕はある時、公園でタバコを吸いに来る大人を見つけた。

Tシャツにジーパンでスニーカーを履いたその男は公園の端で申し訳なさそうにタバコを吸っていた。

その男は1日に2回この公園に来てタバコを吸っていた。
正確には僕は午後からこの公園で遊んでいることが多かったので、2回以上来ていたのかもしれない。

その日から僕とその男はよく顔を合わせるようになった。

だがお互いその存在は認識しているが、わざわざ話しかけることはしなかった。

自分の領域から出ないように注意しながらそれぞれの時間を過ごした。

あるとき彼は僕に話しかけてきた。

「こんにちは。」

僕は一瞬固まって男の顔を見上げた。
ブランコに乗っていたとき気が付いたら目の前に立っていた。

「よくここで遊んでるよね」

男はやや低い声で、静かに僕に語りかけた。

「この公園は何も遊ぶものがないよね。ベンチもないし」

男は独り言のように、辺りを眺めながら話した。

「なんでこの公園で遊んでるの?近くにもっと大きな公園もあるし、そっちの方が遊具も友達もいっぱいいるんじゃない?」

僕は首を振った。

「一人が好きなの?」

僕はもう一度首を振った。

その男は静かにうなずいた。

そこで僕は目が覚めた。

外はまだ暗く、時計を見ると2時を少し過ぎたところだった。

僕はそのあともう一度寝ようと思ったがなかなか寝付けず気づくと明るくなっていた。

寝不足の目をこすりながら通勤しているといつもの公園の前にいた。

いつものようにタバコを吸うために公園に行くと、その日はなんと朝からその子供がいた。

僕は思い切って話しかけてみた。

「よくこの公園で遊んでるの?」

それは僕が子供の頃に男から言われたことをそのまま復唱しているようだった。

子供は首を振った。

僕はその時、昨夜みた夢を思い出した。

「もしかして、友達がいないの?」

子供は頷いた。

僕は小さくため息をつき、「僕もいつも一人だった」と言った。

子供は僕の顔を見ていた。

「ちょうど君くらいの頃、僕も1人で公園に行って遊んでた」

子供は相変わらず黙って僕を見ている。

「僕も子供の頃、ここと同じくらいの公園で1人で遊んでいたんだ。家から持ってきた遊び道具を使って色々なことを試していた」

思い出すままに話をした。

当時の情景を思い出しながら子供に向けて話していた時、僕は涙を流していた。

段々と涙ぐんだ声はエスカレートしていき、声にならない声を絞り出すように吐き出していた。

まるで親から叱られている子供が言い訳をするみたいに。

僕が子供の頃から誰にも言えずに抱え込んできた暗い過去を洗いざらい話し終えると、子供はいなくなっていた。

キックボードも縄跳びも見当たらない。

その日は会社を休み、そのまま渋谷駅まで歩き、センター街にあるカフェに入ってアイスコーヒーを注文した。

さっきまでの出来事が幻覚だったような気がした。

テーブルにアイスコーヒーが運ばれてきて僕はひと口飲んだ。

口いっぱいに広がるコーヒーの苦みと冷たさが気分を少しばかりスッキリとさせた。

不思議なことにここ最近抱えていた仕事の悩みは頭から消えてなくなっていた。

数十年ぶりに泣いたせいか、気分はとても晴れていて、安らかな気持ちになっていた。

僕はもうひと口コーヒーを飲んで、公園にいた子供のことを考えた。

あれはおそらく僕だったのかもしれない。

完全に忘れ去っていた僕の暗い過去がふと蘇ったんだと思った。

子供の頃に処理しておくべきだった複雑な感情の整理を今、することになったのだと思う。

そういえば、今日は朝からタバコを吸ってないことに気づいた。

僕はタバコを家に忘れてきたことも思い出した。

でも、もうタバコは必要ないかもしれない。
僕は禁煙を決意した。

時代の流れをありのまま受け入れるために。